F1 1995 ベネトン・ルノーその⑤ ジョニーハーバートは正当に扱われていたのか⁈
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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1995年のベネトン・ルノーの特集第5話です。
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あのハッキネンと組んでいたF1ライト兄弟、陽気なハーバートが、実績では通算3勝で同世代のジャンアレジより上なのがすごい。
2000年の引退パーティーの時シューミーだけ呼ばなかったから、3秒遅かった理由を暴露したのは正直に喋っただけだったと思う。
過去のチームメイトを圧倒してきたシューマッハにハーバートがどれだけやれるか 期待と共に注目してました。
同待遇での純粋な対決が見たかったです!
パットシモンズも、ミハエルのセットアップでまともに走れたのはジョニーくらいと言ってました。
鈴木亜久里はシューマッハと結構仲良かったらしいですけれど、
それは絶対に自分の同じ地位まで来ないって思っていたから、仲良くできたんでしょうね。
やっぱりどんなに公平に見ようとしても、シューマッハが良い人には思えないです。
要不要かは別にして、友達が少ないんだろうなって思ってしまいます。
ただ、現在の彼の状況は可哀想だと思うけれど。
毎度です。多分シューマッハは徹していたんでしょうね。普通の精神状態でF1チャンピオンとして生きるって難しかったんじゃないかなと思ってしまいます。けして彼の取った行動が褒められるものではないですけども。
F3000でのケガの影響で、特に予選アタックでレイトブレーキをしなきゃいけない時に踏力が足りなくて、チームメイトとの差が出来てしまったことは本人も認めてました。
事故の影響で右足首が動かなくなって膝の屈伸でペダルを踏んでいたんですから無理もないです。
でもそんな状況で通算3勝したんですからすごいですよね。
それより何よりハーバートの陽気な性格が大好きです。
そういえばジョニーの初勝利の祝賀パーティーをセッティングしたのはフラビオじゃなくてエディだったんですよね…
フラビオのジョニーに対する扱いはビジネスライクすぎますよね
毎度です。そう!そうでしたね。そんなお話もありましたな!
ジョニーはミハエルのテレメトリーを見ることができず、一方でミハエルはジョニーのデータを見放題だったらしいですね
毎度です。まさにそうなんですよね~。
ミハエルは日本のF3000時代、チームメイトのハーバートのアンダーフロアに変えさせたと言う逸話を何かで聞きましたが、F1でもやってたでしょうね。89年デビューからハーバートは才能を高く評価されてましたから、何が何でも踏台にしたいとは思うでしょうね。
ブリアトーレはアロンソの時も同じ手法でした。それが彼のビジネススタイルだったんでしょう。
毎度です。鋭いコメントありがとうございます。まさに私もこのファーストドライバーに全集中させるスキームってブリアトーレの戦略だと考えてます。
95年だったら片山右京さんがベネトンに乗っていたかもしれないシーズンですね。
ベネトンへ移籍していたらハーバート以上に酷い扱いを受けていたのは確実ですが、もし1勝でもしていたら、ベネトンから移籍した次のチームで実際よりもF1ドライバー生活は長くなっていたかもしれませんね。
毎度です。そうですね~右京さんがベネトンに乗っていたかもしれない、後はサインをするだけだったんですけね~。確かに1勝できていたら伝説のF1日本人ドライバーとなっていたでしょうし、その後も息の長いレーサーだったでしょうね~。
ベネトンというかフラビオさんはセカンドドライバーに辛い対応ですね
真実の程はわからないところがありますが、いくらなんでもシューマッハとジョニーの差が3秒は開きすぎですね。
ただ言えることはジョニーでなかったら、アレジ、ベルガーでB195をあそこまでドライブできたかってことですね、
自分はジョニーだから2勝できたのだと思っています
毎度です。全く同感です!私もジョニーだからの2勝だと信じています!
私もジョニーを信じます😄ミハエルのチームメイトは初期、末期のブランドルとロズベルグ以外は不自然な差があったと思いますし、その二人以外のドライバーも決して二流ではなかったと思うからです😌
毎度です。ぜひジョニーを信じてあげてください。私もです。次回ブリアトーレの回にブリアトーレの意見もお聞かせできると思いますので是非見てやってください。
動画上げて頂き有難うございます。
熱狂的に応援していたジョニーへこの動画と皆さんのコメントが届いたら嬉しいです!
きっと届くはず…
ハーバートの件はシューマッハの小心者エピソードとして歴史に残るんでしょうね
これ以降、相方に絶対的ナンバー2待遇が待ち受けることになったわけで
ハーバートはみんなに愛されるドライバーだ。フラビオはそのジョニーにそんな仕打ちをしたから黄金時代が続かなかったんだよ。セナプロみたいにチーム内で競わせるべきなんだ。出ていくミハエルの目の前のチャンピオンよりハーバートにもあった車なら翌年もベルガーかアレジと組んでヒルのライバルになれたのに。
ケケがなんで?と思っちゃったけど、そういやハッキネンとレートのマネージャーでもあったんだっけ
毎度です。そうなんですよね。ケケは手広くマネージメントやってましたね。
お疲れ様です.
ハーバートの人間性が辛うじてチームも崩壊を防いでいた,って印象ですね.
今回のお話は,まるで1988年から1989年のマクラーレンホンダを思い出させるような状況ですね.ブリアトーレがセナ・プロの対立の再現を防ぐために,露骨に動いたのでしょうね.
お疲れ様です。
シューマッハ一強時代ならセカンドドライバーはシューマッハの『ポチ』にならないとマトモにドライブさせて貰えませんでしたね。
それはフェラーリで黄金期を迎えた際のバリチェロにも要求していましたし…
毎度です。そうなですよね。結局、ミハエルはもちろん速いんですがそれ以上に周りが彼を勝たせることがチームのためって思えたからなんでしょうね。ニコロズベルグと組んだ時のミハエルはメルセデスを自分のチームにはできなかったですし、モチベーションの部分でもチームを動かすところまでいかなかったんでしょうね。ある意味あれが彼の速さだけの部分の限界だったんじゃないかといつも思ってしまいます。
ミハエルとジョニーのタイム差の件ですが、この時代はチームメイト間のタイム差がコンマ5秒位なら、非難どころか肯定的だったんですね😅
例えばマクラーレン・ホンダだったら、セナからコンマ5秒落ちでベルガーが続いていたら、「セナと共にベルガーも好調ですね~」とか中継で言ってましたし😂
それが今は同僚からコンマ5秒落ちが3〜4戦も続けば、クビの話が出てくるんだからシビアな時代やね😖
だからといって、それが競争が激しくて面白い…とならないのが不思議ですね。
毎度です!
チームシューマッハ体制でテストもまともにさせてもらえず、不満たらたらの中での2勝は流石の一言。
ジョニーさんでなければ、ベネトンのコンストラクタータイトルはなかったと思います。
この芸当が乗るはずだったとされる某日本人ドライバーにできたかどうか。
シューマッハからしてみれば脅威に映ったのでしょうね...
レートやフェルスタッペンよりも比べ物にならないくらい能力が高いドライバーだったということなのでしょう。
シューからしてみれば遅いチームメートの方がやりやすかったのかもしれません笑
それで友人だったとされる某日本人にオファーが来た理由が伺えます。
私もジョニーさんの発言が真実だったと思います。
蛇足ですが、シュー嫁のコリーナさんにもジョニー夫妻とは挨拶も含めて一切口をきくなと指示をしていたらしいですからね...
タイトル防衛という重圧があるからとはいえ、ここまでくるとパラノイア入ってますよね。
94年アデレードや97年へレスは言うまでもありませんが、98年鈴鹿でもエンストこいてたのを見るとシューマッハって意外とプレッシャーに弱いのだろうなと。
毎度です。よく見てらっしゃいますね~。私も同感です。シューにとってジョニーは脅威。しかもベネトンはチームとしてシューをバックアップですから。そしてシューが意外とプレッシャーに弱いってところ頷けます!
そういう世界でしょ、 全員平等はありえないし、チャンスを掴んだうえで政治的な手腕も大事だと思うな
そりゃハーバート専用マシンならシューマッハより速く走れたとは思うから悔しいだろうな
同じ条件ならジョニーはシューマッハといい勝負したと思うけどなぁ⁉️もしかしたらジョニーがチャンピオン争いしたかもね‼️
イイ人では何度も世界チャンピオンとれないんですねー。
毎度です。私もそう思います。
マクラーレンやウィリアムズのように同じマシンを2台用意して2人のドライバーを自由に競わせるチーム力がベネトンにはないので、シューマッハに集中するしかなかったのではないでしょうか。フラビオがロンやフランクのような生粋のレース屋でないという事もその判断に影響しているように感じます。
ベネトン1995年のエピソードが有りすぎて、なかなか終われませんね😅
ハーバートさん、全日本F3000のスポット参戦の時にシューマッハのやり方は分かってたはずなのに
それでもシューマッハのチームメイトとしてベネトンでのフル参戦を選んだんですよね〜
毎度です。まさかここまで待遇酷いとは思ってなかったんでしょうね。シーズン当初はシュー優先仕方ないって言ってましたからね〜
95年のモンッツア。
確かヒルがシューマッハにカマ掘ったレースだよね?
ジョニーは最低の気分で乗ってたと思います彼がチャンピオンになれたらどんなに嬉しかったか
残念でなりません結局はミハエルもあのスキー事故で可哀想な思いをする事になるのですが利己的な人は悲惨な結末を迎える事になる。
毎度です。うーん深いご意見。やっぱり協調性って大切なんですよね~
片山右京さんがベネトンのオファーを断って後悔していたという話がありますが右京さんがベネトン入りして幸せになれたかどうか考えると複雑な気持ちになります。
毎度お疲れ様です。
良くも悪くもミハエルのエゴ全開の性格って感じですねぇ。それでも回りを巻き込んでしまうのも実力、ですかねぇ・・
現在だとフェルスタッペンも近いかなぁ。去年のブラジルの件とか、なんやねんと思いましたけども、あの感じはミハエルを思い出しました。
あ、個人的な感想は自分もジョニーはもっとやれたと思います。ただナイスガイは大成しないのがこの世界の常・・ あ、いやハッキネンは例外ですかね。
むしろ
シューは言うことは
信じないって人の方が多いハズです…
この年のアルゼンチンGP
おびやかされそうになってから
態度が急に変わったのは
有名な話ですし。。
毎度です。そうですね~自身の立ち位置を守るために必死なんですよね~。
う~ん…ジョニーファンの私から云うのもなんですが、やはりミハエルは1枚上手かなと思いますね😅
それはドライブテクニック云々ではなく色々な意味で駆け引きや自己中心的な行動がなければチャンピオンなんて獲れないはずですから…
確かに95年のB195はナーバスなマシンだったと思いますが、彼ら二人のドライバークラスになればそれは早々に感じていたはず…しかしミハエルはチームメートやチームまで巻き込みながら、時には嫌われながら、時には自己中心的にマシンの弱点をドライビング以外のところでカバーしようとした。
かたやジョニーは性格の良さからくる素直さで、真面目にレーシングドライバーとしての仕事を行おうとして差が開いてしまったって感じかなと思います😅
F1のトップチームで走れるドライバーのテクニックなんて殆ど大差ないと思ってます。
結局は自分がチャンピオンになる!必ずどんな手段を使ってでも!という強い意志とドライビング以外の総合的な能力がもの云うんではないかと…過去のチャンピオンを巡らせてみるとドライビングのテクニックだけでって選手は皆無に等しい。
つまりジョニーはチームワークを大事にするフェアで良い人柄が邪魔をしてしまう皮肉なドライバーの一人だと感じます。
全日本F3000や耐久レース、無限ホンダ、いすゞなどをドライブした経験があると同時にプライベートではR34GTRを乗りまわす。日本に縁のあるドライバーですね😊
そして…
あのマツダをルマンで優勝に導いてくれた立役者であり、
我々、日本のモータースポーツファンには彼の記憶はずっと残り続けると思っています!
ウィリアムズ勢の俺たちで初勝利をものにした直後のレースでそんな事があったとは…目から鱗です。
異変に気付いたジョニーが原因を突き止めようと奔走しなければ、誰も真実を明らかにする事は無かっただろうと思うと恐ろしや😱
毎度です。そうなんですよね。でもそれを匂わせるミハエルの意図って何だったんだろうと思ってしまいます。
疲れてなんか、、、、、
疲れただろなぁ😢
新ポポンS錠たくさん飲んだかな( ´Д`)y━・~~
まだシューマッハやハッキネンがF1界にいない頃、
ハーバートも1989年F1デビューがベネトンで開幕戦4位入賞した時には脅威の新人ルーキーだとさえ言われて将来を期待されたかに見えましたが、足のケガさえ無ければナニーニのチームメイトとしてベネトンのレギュラードライバーに定着していたかも知れなかったので本当に残念でした。
ハーバートが最初にベネトン入りした時のチームマネージャーは、後にロータスでも世話になるピーター・コリンズでしたね‼️🤗
それから少しブランク期間置いてF1復帰した時にはロータスでハッキネンと共に活躍した時には嬉しいでしたね‼️🤗
でもハッキネンが先にロータス卒業してマクラーレン入りした後に残ったハーバートも追っかける様にロータス卒業。
リジェを経由して再び古巣ベネトンに戻ったけれども、既にシューマッハと言う主が君臨してチームの雰囲気も変わっていた?
そん状況下でも本当に上手くやっていたですね‼️🤗
マシンとチームに恵まれていれば世界王者も狙えたと言われる実力の持ち主。
あのフランク・ウィリアムズ卿が珍しくハーバートはマンセルに匹敵する実力と言わしめてウィリアムズのドライバー候補にもリストアップしたとか?
世界王者には程遠くてもベルガーやパトレーゼに匹敵するベストオブNo.2セカンドドライバーとも?
ジョニーは好きなドライバーのひとりなので、この年の不当な扱いは今思い出しても腹立たしい。。あの状況下での2勝は本当に良くやったと思う。脚が完璧だったら歴史は違ったと思いたい。フェラーリを復興させたシューミは英雄だが、この時代を思い出すと彼がキライになる。
ハーバートはひねくれ者のB195に手こずりながら、イギリスGPとイタリアGPを制覇した。
毎度です。ですね〜
シューマッハが1994年ベネトンで初のドライバータイトル獲得した状況が、1981年ブラバムで同じように初めてドライバータイトル獲得したピケと似ています(チームオーナーから絶対的エースの座を保証されていたり、デザイナーとは息の合った黄金コンビだったところも)
一度引退したラウダに代わってブラバムのエースNo.1ドライバーとなったピケもセカンドNo.2ドライバーとコンビ組みましたが最も脅威に感じていたのがパトレーゼでしたが、それでもピケは正々堂々と振る舞っていましたね(よほど自信が有ったのでしょうね?)
それに比べてシューマッハはチームメイトに対して不安を抱いたり何かに怯えていた様子だったとハーバートも証言していました。
シューマッハの人間性が垣間見えた感じです。
シューマッハがベネトンでチームメイトだった数々ドライバー達の中で最も恐れていたのがハーバートでは無かったでしょうか?
だからハーバートとは会話もほとんど無く自分のマシンセットアップは教えたがらないけれどもハーバートのセットアップは知る?
まあピケもウィリアムズ時代にはマンセルと同じ雰囲気になってしまいましたが?笑
どうもありがとうございます。ジョニー・ハーバート特集…このようにいろいろとお話を聞いているうちに、また誰かと誰かに対して腹が立ってきました。小生が腹を立てたところでどうなるモノでもありませんが彼らの腹黒さには辟易とします。1989年のF1デビュー時の時から…ベネトンとの相性が凄く悪かった事を考えると…94年シーズン終盤と1995年シーズンのジョニー・ハーバートにとってはロータスに残留。チーム存続し気分良く走れる状態にあってほしかったと思います…。
毎度です。そうですね~やっぱりロータスには存続してほしかったですよね。あそこでホンダさんがテコ入れしてくれてればと思ってしまいます。
右京が移籍してても同じ扱いをしたのかな?と思うと移籍しなくて正解?
mazdaをル・マン初優勝に導いたハーバートさん、私は好きでしたね😊
こういう黒い部分が見えちゃうのが嫌だった。
ミハエルとブリは未だに好きじゃない。今後も認めることは無いだろう。
もしこの年右京さんが加入していたら…
ジョニーと同じ扱いだったかもしれませんよね〜😰
でも意外と右京さんならばそれまでのどのチームのクルマよりぜんぜん走るし🤣🎵
でルンルンにレースしてシューマッハより速く走りそうな気がします(笑)
毎度です。かもしれませんね〜。そうだったら良かったんですけどね〜
当時はそんなに格差があるなんて分からず見てました。
そんな中でもジョニーさん優勝したときは嬉しかったです❗
とにかく明るいジョニーが見れて良かった❗ジョニーさんを嫌いな人はいないと思う。特にチームスタッフさんとか。
シューミーさんはベネトンに居るからか嫌な部分が目立ち、まだ嫌いでした。
もう少し振る舞い良ければ。
アロンソがホンダエンジンをF2エンジンといじってから、どうも印象が悪い。正直なんだろうけどエンジニアを燃えさせる言いかたあったろうに。
毎度です。わかります。すっごくわかります。やはりジョニーの人の好さと比較してミハエルを見るとびっくりですよね。でもそれがチャンピオンということなんでしょうかね。
そうなんですよね~。それだけチャンピオンになるには手段選ばず⁉️
@@user-ju9er2cr8d まさにエゴこそがチャンピオンになるための必須要素だった時代なんですよねぇ。色々言われてますが今のグランプリドライバーは皆さん優等生ですねぇ、何か物足りないw
ある意味ブラック企業やなあ
いつも思うけど😅
毎度です。あはは確かに!
善人が悪党チームに入ってしまった?
お疲れ様です♪まぁ このタイミングで当時のベネトンにセカンド加入すれば誰であってもジョニーみたいな扱いになってしまいますわなw 確かに89年のジョニーのベネトン離脱もフラビオの横暴と当時から言われてましたが、当時のベネトンも曲がりなりにもトップチームだった訳ですし、才能溢れる若手とは言えフィジカルが万全でないドライバーを乗せ続ける訳にも行かなかったでしょうし、やはり彼のデビューでの躓きには彼自身と彼の周囲の関係者の「焦り」があったのも否めませんね。やはりこの辺りから、いずれのチームも遊びや余裕のないチーム運営が常態化していった訳ですから、例えチームメイトがミハエルでなくとも(彼とてジョニーの速さを警戒してたフシがありましたもんねw案外プレッシャーに脆い彼らしいw)セカンドの扱いは似たり寄ったりだったかも知れませんね。しかし間違いなくジョニーは「勝てる」ドライバーだっただけに、デビュー時の焦りが後々まで彼のグランプリドライバーとしてのキャリアに影を落としてしまったのは非常に残念、運命なんですかねぇ。でも間違いなく彼は末端のチームスタッフ達には常に愛され続けてたのは ひとえに彼の人柄、それが せめてもの救いだったんじゃないでしょうか。必ずしも「勝てるドライバー」=「愛すべきドライバー」ではない厳しいグランプリの世界にあって、彼の様な人間は いつの時代も少数派なんですよねw 何か話が逸れてしまい申し訳ないです。次回も楽しみにしております☆
Takashiさん、毎度です。うううっ素晴らしいコメントありがとうございます。すごく頷けます。確かにハーバートさんそして周囲の焦りが感じられますね。そういった側面もありますよね。勉強になります。そして勝てるドライバー=愛すべきドライバーではないというグランプリの世界なんですよね~。
あぁ~こう言うコメント書けるような語学力身に付けたい❗
まさに「納豆食う?」いや「納得」しちゃいます。
当時はテレビでは事情までは分からないため、ハーバートが冷遇されていたとは全く知りませんでした。
シューマッハとの力の差はかなりあったけど、2勝出来たからよかったのでは?程度に思っていました。
片山がベネトンに入っていたら、ハーバートよりめちゃくちゃ冷遇されていたでしょうね。97年のプロストの中野のようになっていたでしょう。チームとブリアトーレからだけでなく、シューマッハからも。
それでも2位くらいに何回かは入れていたと思います。
毎度です。同感です。シューミが右京さんと仲良くしていたのは脅威ではなかったからだと思うですよね。でも右京さんは速いですからチームメイトになったら恐ろしいほどの仕打ちが待っていたように思えてなりません。
どうもこんばんわです。こう深く考えるとジョニー・ハーバートさん…1989年のF1デビュー時の時から…ベネトンとの相性が凄く悪かった事だけではなく、足を負傷している状態でF1デビューさせたフラビオ側にも責任がある事を考えると…94年シーズン終盤と1995年シーズンのジョニー・ハーバートさんはロータス・無限ホンダ(1994年シーズン終了まで在籍)、マクラーレン・メルセデス(1995年シーズン以降)に居るべきだったと思います…。
もし1995年のマクラーレン・メルセデスでロータス時代の戦友だったミカ・ハッキネンと再開した場合…MP4/10はハッキネンとハーバートで優勝こそは出来ないもののマーク・ブランデルに変えたりする騒動はなかったかもしれませんね…。
1995年のベネトン…シューマッハのチームメイトには片山右京君かベルトラン・ガショーが良かったけどなぁ…てね。その一方でナイジェル・マンセルは…やはりウィリアムズ・ルノー一択のみ。その場合デビッド・クルサードは再びテストドライバーとして過ごすかそれともザウバーかティレル、ミナルディのどれかに移籍していたかもね…?
と考えますよ…。ベネトン…1991年のシーズン途中にシューマッハを獲得してから徐々にシューマッハのワンマン体制のチームに代わってしまったのがちと残念…。少しはシューマッハのチームメイトの事を大切してくださいよ…と言いたくなってきたわい…。
デビュー時は、足の怪我のせいもあるので、相性以前の問題。
毎度です。そうなんですよ。結局誰がシューミのチームメイトになってもボロカスになるので、シューのチームメイトとして面白くなるのはセナ、プロストあたりが見るには面白そうですな。
@@FormulaIneChannel
それはシューが許さないかと…
ミハエルの友人だった右京さんなら仲良くやれたんだろうな...と思いつつ、1995年は肉体的・精神的に追い込みすぎていたので、そこに友人からの期待まで入ったら再起不能レベルで潰れてしまったような気もする。
毎度です。私が個人的に思うのはもし右京さんがチームメイトになっていたら、ミハエルは容赦しなかったんじゃないかなと思います。
すんません、91年に亜久里がベネトンにいっていたらとか95年に右京がベネトンにいっていたらとか、そろそろやめませんか。いってないし、彼らは彼らなりに選択して、走って、現役を終えたワケで。リジェの亜久里、カッコ良かったじゃんか。右京、ミナルディで愛されてたじゃんか、と僕は思います。すんません
こんばんは!お久しぶりです。なかなかコメント出来ませんでした💦毎回動画は見てますよ!果たして、右京さんが乗っていたらどうなっていたのでしょうね?日本人と仲の良いマイケル。右京さんが同レベルで走っていたらジョニーさんみたいにしてたのかと考えると、あのティレルで良かったかな?とも思いますが… やっぱりジョニーさんは素晴らしいですよね!ミハエルがチームメイトで2勝したんですから。ミハエルファンには申し訳ないですが、だから私はミハエルよりハミルトンの方が素晴らしいドライバーだと思います!
毎度です。全然コメント無理せずに!コメントはしたい時にして頂ければで十分ですよ!お気遣いありがとうございます!右京さんにはべネトンに行ってほしかったですが、行ったら行ったで苦しい状態に追い込まれていたようにも思えるんですよね~。
シューマッハほど好き嫌いが分かれるドライバーも珍しいのではないか
チーム体制を自分だけのものにしてセカンドドライバーは自分のポチ的存在にする
よく言えば勝利に貪欲で悪くいえば究極のエゴイスト
けどそんなことが出来るのも実力があってこそ
そこは認めざるを得ない
しかしチームもハーバートにも同様に尽力して好成績収めてもらった方がチームタイトルに近づくのになんで冷遇?って思うけど
しかしソレができないほどシューマッハに依存してたんでしょうね
実力実績のある暴君って厄介ですね
けどマシン開発テスト等も積極的と聞きましたし仕事熱心なのは事実のようで
評価が分かれるでしょうけどそんなシューマッハのファンです
そして逆境の中でもキッチリ結果を残したジョニーハーバートも大好きなドライバーです
別に擁護するわけじゃないですけど、
いくら自分仕様のマシンとはいえ、ジョニーを秒単位で離すシューは凄いってのに間違いはないんですよね。
セカンドとはいえもっと出来たはず、セカンドなのだからエースに尽くせ、どちらも正しくて間違っているのかもしれませんね。
毎度です。素晴らしいコメントありがとうございます。そうなんですよね。何を言ってもミハエルが速いからってのが大前提なんですよね。そしてすべてを決めているのはミハエルではないんですよね。あくまでも彼はドライバーであってチームの戦略や体制を決めるのはブリアトーレなんですよね。